親の孤独死は知らんぷりして良いのか⁉️実際に経験した余りにも恐ろしい現実を話します。関係ない知らないは通用しない⁉️
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突然届いた、父の孤独死の知らせ。
火葬、遺産放棄、借金督促──。
5年越しに振り返る、あの日々のリアル。
この記事について
音信不通だった父が孤独死し、突然連絡を受けた私たち兄妹。
遺体の引き取り、孤独死の現場整理、遺産放棄、そして残された借金問題──。
誰も教えてくれなかったリアルな手続きを記録しました。
同じような経験をするかもしれない誰かの参考になれば嬉しいです。
【はじまり】
突然届いた、父の孤独死の知らせ
まだ娘が2歳の頃、子育てに追われながら普通に暮らしていた。
そんなある日、母に一通の電話がかかってきた。
兄からだった。
「父親が亡くなっているのが発見された」
と、突然、警察から携帯に連絡があったという。
「○○さんの息子さんで間違いないですか?身元引き受け人になりますか?拒否もできます。その場合、遺体はこちらで処理します」と告げられたらしい。
兄は、母とわたしに知らせずに、拒否しようかと一瞬考えたそうだ。
その気持ちは、よくわかる。
自分勝手な理由で家族を傷つけ、20年以上も行方不明になっていた父。
もう、わたしたちには何もしてあげる義務なんてない。
むしろ、「どこかで既に亡くなっている」と、内心、納得させていた。
……それなのに。
ふと、子どもの頃の父親との記憶が、無意識に溢れてきた。
日曜日、母が働きに出ていたとき、父はお昼ご飯を作ってくれたり、外食に連れて行ってくれたりした。
楽しい思い出ばかりだった。
きっと兄も同じだったのだろう。
だから母とわたしに、父の死を知らせる選択をしたのだと思う。
「知らせなかったら、一生後悔すると思った」と。
あんなに恨んでいたはずの父親なのに、
もう死んでいると思っていたのに、
「生きていたんだ……」
溢れてきたのは、ただただ喪失感だけだった。
家事も手につかない状態だった。
【決断】
遺体を引き取るか、引き取らないか
翌日までに、父の遺体を引き取るかどうか警察に返事をしなければならなかった。
母は「もう、ほっときなさい!あなたたちに迷惑かけるから」と言った。
離婚しているので、無理もない。
わたしは兄に聞いた。
「引き受けなかったら、どうなるの?」
兄は「さぁ…。詳しく聞いてないけど、ただ火葬するだけじゃないの…?」と答えた。
父は死後一週間、自宅で倒れたまま、ヤクルトレディに発見された。
8月の暑さもあり、遺体は腐敗していた。
ブルーシートに包まれて、警察署に安置されているとのことだった。
兄は「どうする?おまえが決めていいから」と言った。
当時、兄には経済的な余裕がなく、負担を考慮してわたしに委ねたのだと思う。
わたしは決めた。
「仕方ないよ、せめてものこと、してあげよう。」
兄は「いいのか…?わかった。警察に返事する」と言った。
【警察署にて】
ブルーシートに包まれた父との再会
翌日、娘を母に預け、兄と警察署へ向かった。
担当の刑事さんから挨拶を受け、遺体発見の経緯、遺留品の確認をした。
免許証に写る父親の姿は、思っていたよりきちんとした身なりで、オシャレな服を着ていた。
「良かった……それなりに生きてたんだ」
刑事さんは、父が失踪後も、戸畑区にある建設会社に住み込みで20年以上勤めていたこと、晩年は高血圧を患いながらも病院にほとんど行かなかったことを教えてくれた。
腐敗が激しいため、遺体との面会はすすめられなかった。
わたしも見る勇気はなかった。
「どうして警察は私たちにたどり着いたのかな?」と兄に話すと、
兄は「たぶん戸籍を辿ったんじゃない?俺、交通違反で一回捕まったから、その情報かな?笑」と言った。
理由はわからないが、音信不通でも親の死後、警察から連絡が来ることがあるという事実を知った。
刑事さんから、火葬に必要な埋葬許可書の重要性について念押しされ、手続きを終えた。
【葬儀屋探し】
孤独死、火葬、そして静かな別れ
警察署から、「翌日には遺体を運び出してほしい」と言われ、慌てて葬儀屋を検索した。
もちろん、盛大な葬儀をするつもりはないし、費用も抑えたかった。
「孤独死 葬儀」で検索すると、「小さな葬儀屋」という業者がヒットした。
孤独死にも対応しているとのことで、すぐに連絡した。
事情を説明すると、非常にスムーズだった。
葬儀屋が警察署から遺体を引き取り、一晩預かり、そのまま火葬場に直送。
遺骨を骨壷に納めるところまで対応してくれた。
娘が小さかったため、わたしは現場に行かず、兄が仕事の合間を縫って火葬場に埋葬許可証と20万円の費用を届けてくれた。
【現場復旧】
孤独死の部屋と、残された遺骨
火葬が終わった──と思ったら、終わりではなかった。
孤独死の現場復旧が待っていた。
警察から、父が住んでいたアパートの大家さんの連絡先を渡されていた。
気が進まなかったが、電話をかけた。
感じの良い60代くらいの女性が出て、
「急にこんなことで連絡が来て驚いたでしょう。引き受けてくれて本当にありがとうございます」と感謝してくれた。
生前、父は静かに一人でお酒を飲みに来ていたこと、料理が上手だったこと、今日の料理を楽しそうに話していたこと──
父の穏やかな暮らしを少しだけ垣間見れた。
大家さんからは「とにかく荷物を空にしてくれればいい」と頼まれた。
そこから、必死で特殊清掃業者を探した。
最初の業者は60万円請求してきたが、
次に頼んだベテランの業者が20万円で引き受けてくれた。
「ぼったくりもあるので、相見積もりは必ず取るべき」──身をもって学んだ。
清掃後、現場には祖母の遺骨と写真が残されていた。
祖母の遺骨は、ベテラン業者さんが無縁墓へ供養してくれた。
やっと、すべてが終わった──そう思った。
【清算】
遺産放棄を決意した、兄妹の選択
わたしと兄には、もうひとつ大きな懸念があった。
それは、父が過去に借金を踏み倒していたことだ。
警察署の帰り道、戸畑駅のドトールに入り、
何十年ぶりかにふたりでじっくり話し合った。
調べてみると、親の借金も「負の遺産」として子に相続され、
放置すれば支払い義務が生じるとわかった。
兄もわたしも意見は一致した。
「自分たちの家庭を守るため、遺産放棄しよう。」
そこからまた必死に調べ、小倉家庭裁判所に連絡。
優しい対応に少し救われた。
父の戸籍をさかのぼって取り寄せ、遺産放棄の手続きに向かった。
【裁判所へ】
遺産放棄手続きと、心に残った言葉
孤独死の後処理って、想像以上に煩雑だった。
しかも、遺産放棄まで──。
でも、やっておかないと。
借金の肩代わりなんて、絶対に嫌だった。
家庭裁判所での遺産放棄手続きは、父の死後3か月以内に行わなければならない。
兄と予定を合わせ、手続き当日を迎えた。
対応してくれたのは、白髪の男性職員だった。
終始、優しく寄り添ってくれて、心がすごく救われた。
「後日、遺産放棄の証明書を郵送します。
何を言われても、そのコピーさえ渡せば大丈夫です。
どうぞ安心してくださいね。」
その言葉を聞いて、
やっと本当に、これで終わったんだと思えた。
【後日談】
借金督促との戦いと、印籠の効果
──しかし、後日談。
音信不通だった親の借金請求は、果たして来るのか?
答えは、
余裕で来る!!笑
兄にも、わたしにも、2〜3件ずつ督促状が届いた。
でも、家庭裁判所から送られてきた「遺産放棄証明書」のコピーを、
水戸黄門の印籠のごとく見せたら──
どの債権者も、
ぴたっと引き下がった。
何も言われない。
文句ひとつなく、請求は止まった。
「本当に、遺産放棄しておいてよかった」
心から、そう思った。
もし、借金癖のある親がいる人がいるなら、
たとえ音信不通でも、たとえ離婚していても、
絶対に遺産放棄することをおすすめしたい。
【5年後】
喪失感は消え、怒りさえも薄れていった
父が亡くなったときの喪失感は、
いつの間にか、すっかり消えていた。
今ではほとんど思い出すこともない。
たまに、
「死んでからも迷惑かけやがって」
と憎しみが湧くくらい。
でも、それでいいのだと思う。
五年の時間が、自然とわたしを癒してくれたのだろう。
【あとがき】
孤独死のリアルを、誰かのために
当時、孤独死の後処理について必死に調べたけれど、
リアルな体験談にはまったく辿り着けなかった。
出てくるのは、弁護士事務所の宣伝記事ばかり。
本当に、手探り状態だった。
そのことが、ずっと頭の片隅に引っかかっていた。
娘も小学生になり、手がかからなくなった今、
「よし、書こう」と思い立った。
この体験が、
これから同じような状況に立たされるかもしれない誰かに届き、
少しでも力になれたら、本望です。
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